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サーキュレーションさいたま

9月14日から3ヶ月にわたり「サーキュレーションさいたま」というワークショップに参加しました。

その内容がedit localという記事でまとめられています。

このワークショップの最中に、私の住む見沼区では、近所で身も心も震えるようなショッキングな事件が立て続けに起きたり、台風で水没するエリアがあったりで、さいたまって本当に住みやすいの?と、なんだか不安になっていました。

振り返ると、この3ヶ月間はその不安を解消するべく必死に色んな情報を集めていたように感じます。

今回のワークショップではMEEMという地域の言葉を探すというテーマがありました。MEEMを探すために改めて図書館で大宮市史とか氷川神社にまつわる考古学文書なんかを読んで、「見沼」という湖に匹敵するほどの巨大な沼の存在を知りました。氷川神社、浦和のウナギ、ヌウ君、見沼田んぼ、桜並木のある多くの公園、たくさんの団地、古い街道、いつになっても整備されない道路、蛇、近所の浅子さん、みんな見沼がルーツなのを知り、なんだか腑に落ち、安心しました。

さいたま市の歴史を深掘りして、見沼が現在の道路網や宅地造成、コミュニティの形成など全てに影響を与えている事が理解できた今は東京や他の地方都市とは違ったさいたま市の現状に納得しています。

台風であたり一面が水で満たされた時に、なんだか湖畔に住んでいるような、海辺に住んでいるような、そんな水辺の豊かな暮らしをちょっとだけ実感できたのです。信仰の対象とも、生活の糧ともなっていた広大な沼。それがつい数百年前に干拓されて目に見えなくなった事は、新たにこの地に住む人の心にも少なからず影響して、不安定な心を生み出すのではないでしょうか。歴史を知る事は大切な事だと改めて思いました。

 自然の残るこの土地に惹かれて8年前に土地を購入して引っ越したものの、生活に必要なスーパーや保育園、幼稚園、小学校やママ友からの情報に頼りっきりになっていた自分に改めて気づきました。

6年住んでも、自分の住む街の事を意外と知らないことに気付けた事、そして今ではこんなにたくさんの人が住んでいる街だけど、縄文時代から丸木舟に乗って、当時繋がっていた海に出ながら見沼のほとりで気ままに暮らしていた人がいただろう事。とにかく400年前に江戸ができるまでは都から遠く離れた荒地だったろう事。

けれどあまり政局に左右されずのんびりと穏やかにくらせる場所だったであろうこと。

つい100年前までは田んぼと沼の広がっていたさいたまを知ることができたのは、とても有意義なことでした。この街の成り立ちを知り、これから何十年か先まで穏やかに住んでいこうと改めて思いました。