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住まいの経験

コミュニケーションプランのヒアリングシートに「あなたの住まいの体験をおしえてください」という項目があります。ふと自分の住まいの体験も振り返ると、不思議な事に、それが全部、設計に現れてくるようなのです。

 

19歳で実家を離れてから都内のアパート暮らしを始めました。しかし大学の製作課題のために、家にこもらなければならない日々。話す相手が居ない。ご飯を一人で食べる。一人で眠る。田舎の広い家で7人家族で育った自分には1DKの一人暮らしは身体と心に大きな負担となり、住む環境がいかにその人の人格や価値観に影響を与えるかを理解しました。進学と就職で2回引越し近所に馴染む頃には次の場所に引越して、拠り所が無く、とても不安定に暮らしていました。

 

26歳の時、女子4人で築60年の一軒家をシェアしたのですが、家だけでなく、食物や本、音楽、服までもシェアして、友人関係も価値観も一人では得られない豊かなものになりました。誕生日パーティをしたり、一緒に映画を観たり。仕事から帰ると見知らぬフランス人が来ていた事もありました。誰かと一緒に暮らす事で心のバランスが保てるようにもなり、シェアハウスでの暮らしはかけがえのない時間でした。

また、この頃は身軽だったので、度々の国内外の旅行でその土地の気候風土に建物がいかに影響を受けるかという事を学びました。また、建築を実際に体験し、こうありたい物だと思う空間もありました。大学に入って最初に学んだコルビュジェの住宅、大きく影響を受けた妹島和代さんの建築、大好きな日本の古建築は、図面と共に見ることで頭に染みこんでいるようです。

 

29歳で結婚してしばらくは夫と2人で共働きをしていたのですが、妊娠・出産で生活のペースが変わり、子育ても家事も地道な仕事の上、家に居る時間が永くなり、住まいの居心地の良さを身を以て考えるようになりました。その時住んでいたアパートは、北側が都立公園に面していたのですが、全く公園の恩恵を受けられない部屋でした。家に居るより夏は風が通り、木々の葉から溢れる光も心地よく快適なので、日中の殆どの時間を公園で過ごしました。夕方、日が暮れても公園ではしばらく明るいのに、アパートの中では午後になると照明とテレビ、エアコンをつけなければ居られないのは、とても不自然な気がして、公園のような家に住みたいと思うようになりました。

 

アパートに不満が募ると、自分が心を落ち着かせて過ごせた時間はいつだったか考えるようになり、実家や祖母の家での暮らしを思い出しました。実家は田舎で見晴らしがよく、2階の南側の窓はいつもカーテンをせずに、窓越しに流れる雲、季節によりオレンジだったりピンクだったりする夕焼け、夜が近づきだんだんと濃いブルーに染まる空、あたりが真っ暗になると見える月や星を、受験勉強の合間によく眺めていました。祖母の家は庭に面して大きな窓があり、部屋の中に居ても木々の緑がまるで手に取るようで、まぶしく、美しかった。どちらの家も、家の中に居ても窓を介して十分に自然を感じる事ができ、永い時間とどまらなければならない場所に潤いと安らぎを与えてくれた。だからこそ苦にならず地道な生活が送れていたのです。

 

33歳で自宅を設計した時には、それまでの住まいの経験が頭の中でうまく整理しきれないまま、感覚的にプランを描いていたように思います。けれど、どうしてこのプランになったのか、はっきりと説明がつかなくても、どこかに今まで経験した空間が見え隠れしてくるのです。自分の頭でプランした家で暮らし、自分自身がどんな風に変わっていくのか、それはまだ未知数ですが、次はもっとはっきりと意識的にプランができて、空間に反映できるのではないかと思います。